49歳からのセミリタイア生活

49歳で早期退職しました。東京・高円寺の街あるき、時事ニュース、趣味のことなどをつづります。1日おきに更新。

セミリタイアしたら孤独になるのか、考えてみた

 

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ぼくは10代から30代半ばごろまでバックパッカーをやっていて、休暇のたびに世界のあちこちを1人で旅して回りました。

楽しいことは数えきれないほどあった半面、危険なこともありました。

自分がこれまでの人生で会ったことのないような人たち、知らない文化、初めての食べ物ばかり。

どこに行くのか、どこに泊まるのか、何をするのか、ぜんぶ自身の責任で判断するのです。

すべてが新鮮な経験でした。

海外を1人で旅してきた日々が、いまのぼくの大きな部分を形づくっているのは間違いありません。

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1人旅で得たものの一つが、孤独と向き合う経験でした。

異国の地で知り合いが誰もおらず、言葉も話せず、頼れる人もいない。

今のようにインターネットなんかなかった時代です。

どの宿に泊まったらいいのか、どの店で食事をしたらいいのか、何一つ情報はなく、調べることもできない。

話し相手もいない。

行き当たりばったりで食堂らしき店に入り、ジェスチャーで注文し、どんな食べ物が出てくるのかロシアンルーレットのように待つ。

周りは地元の家族連れだったり、友人同士だったりするなか、ポツンとひとりでテーブルに座って待つ。

そして出された食事を黙々と食べる。

そんな旅を続けました。

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初めて中東のヨルダンに降り立ったときのことは今でも思い出せます。

首都アンマンの空港に到着したのは深夜でした。

入国審査を終えてロビーに出ると、すでに空港は消灯されていて誰一人いない。

もちろん宿の手配などしていなかったぼくは、途方に暮れました。

砂漠の真ん中です。

まだ10代でした。

ただただ孤独感と不安でいっぱいです。

たまたま通りがかった警備員をつかまえて事情を話すと、宿を一つ紹介してくれて、そこまでバスで移動することになりました。

バスの座席で揺られ、窓の外の少ない明かりを眺めながら、「これで大丈夫なんだろうか」と、ものすごく心細くなったのを覚えています。

異国で1人旅をすると、このように、いやでも孤独や不安と向き合うことになります。

それでも心細さを1人で克服しながら前に進まないといけない。

宿でもひとり。

ずっとひとり。

孤独は常に自分とともにある。

その経験から、ぼくは「孤独は自分の友だちだ」と考えるようになりました。

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さて。

会社を退職すると、孤独になることを心配する人がたくさんいます。

いそいそと名刺を作りはじめるオジサンもいるようです。

リタイア関連の記事を読むと「退職したら近所の活動に加わって地域コミュニティーに参加しましょう」などといったことがよく書いてあります。

つまり、会社所属から地域所属へ移りなさいということです。

ぼくは、この考えにずっと違和感を感じていました。

セミリタイアしたら地域コミュニティーに所属しないといけないのかあ・・・。

それ、本当?

 

そんな疑問に答えてくれる記事がありました。

toyokeizai.net

主題は未婚に関することですが、テーマは副題のとおり「はたして孤独は全員に共通する悪なのか」です。

コミュニティーについて、こう説明しています。

 

かつて、地域・家族・職場といったコミュニティは、「人々の居場所」でした。そこに所属している人々は、「自分はこのコミュニティの一員だ」という安心感が得られます

 

それが、いまでは大きく変化していると指摘しています。

 

事実、地域のコミュニティは都市部ではほぼ消滅していますし、職場のコミュニティもかつてのような安心は提供してくれません。昭和的な大家族形態も少なくなり、そもそも非婚化で家族コミュニティを持たない人も増えています。所属の安心が失われていくわけです

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実際、ぼくが23年間勤めた会社も、近年はコミュニティーとしての機能がぐっと落ちていました。

若いころは現場で一緒に働く仲間たちとよく飲みに行ったし、遊んだりもしていました。

だけど、最近は忘年会や歓送迎会も参加が「任意」になり、若手の参加率は激減。

管理職になると、職場のひとたちと飲む機会もほとんどなくなっていきました。

会社は、ただ仕事をするだけの場所に変わっていったのです。

だから、会社に所属することは、金銭面や社会的な地位をのぞくと自分にとってそれほどの安心感を与えてくれるものではなくなっていたのですね。

ぼくが早期退職しても喪失感をほとんど感じなかったのは、これが理由だったのでしょう。

 

では、これから先はどうなっていくのか。

記事では、こんな考えを述べています。

 

無理に所属しなくてもいいのです。(中略)今後大切になるのは、「所属しなくても得られる安心がある。誰かと一瞬接続することだけでも安心が得られるのだ」と気づくことだと思います。私は、それを「接続するコミュニティ」と表現しています。かつての家族、地域、職場は「所属するコミュニティ」でした。しかしこれからは、枠の中に自分を置いて群れの一員になるのではなく、個人と個人とがさまざまな形でゆるやかに接続する形になっていくと思います。

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これは、「所属すること」に対するぼくのモヤモヤを解消してくれる考え方でした。

「会社から離れる=孤独になる」ではありません。

孤独はいつも自分のうちにあるものです。

それを抱えながら、他者とゆるやかに、そして楽しくつながっていく。

セミリタイア生活は、この姿勢で過ごしていきたいと思っています。